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2009年04月06日

いつも家にいた父親

今日は、とつとつと、私の父親のことについてだけ約40分の通勤電車の中、語ってみる。


私の父親は営業という営業の仕事を転々としてきた。それは以前にも書いたのであまり書かないけど、私が中学生の受験期頃から父親は仕事を盛んに変えるようになった。
仕事を辞めた理由を聞くと会社の人間とケンカし、今までの言いたいことを言って辞めてきたという。
私は、あー、またかと思いながら現実に目を背け、部活のバスケに夢中になったり、発明家になるんだ!警察官になるんだ!とか人の目をひくようなことばかり言って学校生活で居場所をみつけようとしていた。

仕事を辞めると父親は、まず午前9から12時の前場、13時から16時?の後場に合せてラジオで株式放送をずーっと聞いていた。
大成建設154円なり鹿島建設デキズ。清水建設ふたじゅうはちえんなーり…。

今でも耳にこびりついている。
気分が良くなると履歴書を書き始める。私が家で遊んでいてコタツにガツンと足をぶつけるとものすごい勢いで怒った。字がずれただろと。
そんなことをじながら5枚ぐらい使って履歴書を仕上げていた。


父は仕事がなくなると家のことに熱心になったりもした。
借家の屋根を塗ったり、いじめられていた私に柔道を教え、クッションを使って庭に即席パンチンググローブを作ってくれたりした。

いじめられても私のことを怒ることはなく、えこひいきだろと思うぐらい私を弁護して、相手のガキ!とののしり、今からその親のところに怒鳴りに行ってやると大声で怒り、母親に泣きながら止められていた。

過激な父親はどこまでも過激で、サラリーマンとは正反対の人種だった。
別に思想的にもフラットだし、活動家であるわけでもない。

そんな父親には数少ない友達がいた。他人に寄付ばかりして貧乏な団地の佐藤さん。プレス屋で知り合ったらしいが、佐藤さんは頭が弱くすぐ人に騙され高級な羽毛布団を買わされて財産をとられたりインチキまがいな宗教にまた財産をとられたりした。
父親は正義感が人一倍強く、怒り、何より佐藤さんが注意しても何度も騙されることに怒っていた。
そんな佐藤さんもここ2年連絡がない。

そんな父親は休日となると佐藤さんと祭に行くか、独りで戸田や江戸川の競艇場に行き、1レース100円程度で、1000円ぽっちしか使わずに帰ってくる。


40代を過ぎてからの父親は、ある日ゴミの中から銀歯を採集する仕事をしててすてられていた医薬品の注射がゴム手を通して刺さったと言い、ある日は真空バックになったビニールを持って来て、この発明の商品の独占的営業権をとるとかいっていた。
またある日は農薬の会社に就職して、その倉庫番が、農薬漬けの日々で鼻がきついと言っていた。
長続きしないためどんどんと短期の条件の良くない仕事ばかりをやっていた。
そこから…

駅に着いたのでブログはこれまで。
posted by gaidance at 22:33| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | そこのけそこのけ日記を書くぞ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
早く続き書け。
いままでの日記で一番面白い。
Posted by mikity at 2009年04月08日 07:42
ワッフルワッフル
Posted by 指紋 at 2009年04月08日 12:47
かんけつです
Posted by gai at 2009年04月14日 21:48
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